鶏肋日記(けいろくにっき)

クソッたれな人生や世の中についてのブログです

テキトー就活、仕事遍歴。でも生きていけるもんです

 

f:id:y-keiroku:20180306175900j:plain


初めて当ブログにお越しいただいた方、訪問、ありがとうございます。

何度かお越しいただいている方、いつもありがとうございます。

鶏肋(けいろく)と申します。

 

一般論ではなく、あくまで一個人の妄言です。

 

春である。

日本は新年度が4月から始まるから、1月以上に「春=新たな人生の始まり」というムードが、国中に漂う。

今月はそれまでの準備期間といったところか。

これから、桜も咲くし。

 

こういう雰囲気は好きだ。

わくわくと不安、緊張と華やかさ、自信と謙虚さが混じった、新鮮な感じ。

なんとも前向きな感じがする。

 

 

でも、ひきこもっていたときは、ただただ苦痛だった。

自分の時計が何年も止まったままなのに、世間は、社会は、人々の針は1年ずつ、着実に回ってゆく。

 

1年ずつ、自分の外側で社会が積み重ねられてゆくというのは、かなり怖い。

知らない間に新ルールや常識、人々が共有する思い出が着々と作られている恐怖。

一方で凍結したままの自分。

 

それとセットで、置いてけぼり感。

友だちや同級生たちが遠いところに去ってゆく感。

「お前は失格者だ」またまた1ページ分上書きされた感。

 

そういう焦りや苛立ち、怒りや不遇感や後悔や嫉妬、いろいろな不如意に苛まれたものだ。

 

 

 

ぼくはいわゆる就活(←これ、漢字変換で出てくるんだ!)というものを満足にしたことがない。

 

だって浪人したし。

大学休学したし。

 

 

パニック障害の克服などで、多くの人より6年ほど遅れた

(この時点で中学卒、高校卒などの人が視野にないくらいに余裕がないというか、傲慢だったと今は思う)

 

学習や単位取得そのものには問題はなかったが、電車に乗れない、外に出ると心拍数が激増するなどの、生活面の問題の解決にそれくらいかかった。

 

結果、「新卒枠」に入ることは一度もできなかった。

 

 

 

おれの新卒を返せぇ~(# ゚Д゚)

 

 

 

って、実はそれほど気にしていない('ω')

 

なぜかというと、現役で大学に合格し、4年のストレートなどで卒業できた人生であったとしても、自分はすんなり就活やインターンの応募に勤しまないタイプだと確信してしるからだ。

 

 

きっとしばらくはフリーターとか、海外で生活とか、NPO活動とか、友達と酒とか、部屋にこもって読書をだらだらなど、「小さいけれど実感のあること」を積み重ねていたと思う。

 

 

なんというか、効率的・最短コースの人生が性に合っていないのが自分でわかるし、あくまで何事も、「自分が始めたいときに、始めたい動機で、始めたい方法で」取り組みたい。それが一番自然だと思う。

 

 

 「みんながしているから」「そういうふうになっているから」という雰囲気に流されるだけで、自分の中で、未分化にせよ、何の動機付けもないままに始めてもロクなことにならないと、どこかで感じていたんだと思う。

 

そしてまた、そういうなんとなくの理由で仮に良い仕事に就けても、たぶん一生懸命働けないし、弱い人間であるぼくのことだから、きっと、不平不満に明け暮れたり、平均収入や平均的な出世や相場をものさしにして自分のキャリアを計算したり、他者もまた、そのものさしで裁いていただろうと思う。

 

という、大いなる言い訳(笑)

半分以上はまじめな話だが。

 

でもまあ、なんというか、そういうのがイヤだったり、ムリだったりしたので、無視して生きてきた。

おかげで、「平均」から大いに外れた。

 

だから現在、いろいろな面で社会的にはかなり下の方というか、そんな感じだが、

 

 

ま、自分が選んだことっすから。

ウェッヘッヘ。

f:id:y-keiroku:20180306172203j:plain

 

と開き直れる部分があるのは、悪くないんじゃないかと思う。

 

  

 

就活に話を戻すと、まず、エントリーシートなるものがダメだった。

書いていると、というか、見ているだけで笑いが止まらない。

 

 

履歴とか、打ち込んだ活動とか、強みとか、〇年後にどうなりたい、とか。

 

 

なんなんだ。この白々しい真面目な感じは。

小学校のHRの再来か。

みんなよく臆面もなく書けるな。

そして人前で話せるな。

(それができる人を貶したいわけではありません。あくまで嫉妬です)

 

そういうふうに感じる自分がおかしいのか、とも思っていた。

 

 

こちとら、そんなん考える暇なんてない人生やったっちゅーねん。

 

死なないだけで命懸けの人生だった(↓)ので、そういう記入欄がすべて綺麗事とか、よそ事にしか見えなかった。

 

y-keiroku.hatenadiary.com

 

 

y-keiroku.hatenadiary.com

 

 

y-keiroku.hatenadiary.com

 

 

y-keiroku.hatenadiary.com

 

 

y-keiroku.hatenadiary.com

 

ほかにも要因はたくさんあるのだが。

 

 

 

だからなのか、エントリーシートをちゃんと書いた記憶はない。

添削指導を受けるなんてもってのほかだ。

 

おれの人生を添削してんじゃねぇ!

 

 

で、場当たり的に凌いだ。

 

 

 

同じような理由で、履歴書も大嫌いだ。

 

こんなんでおれの何がわかんねん。

これでわかるのって「レールからはみ出てないかどうか」だけやんけ。

そもそも発想が減点方式やろうが。

ふざけんな、ボケが。

人間と人間の出会いのエピソードとか、生まれる余地、どこにあんねん。

 

そう憤っていた。

 

 

 

合同企業説明会などに集う、初々しく、慣じまないスーツを纏う若い人たち

アンドロイドのように模範解答を頭に叩き込み、リハーサルする人たち。

 

そういう空気を吸うだけで、具合が悪くなった。

だめなんだ、ああいうの。

 

ザ・建前、というか、「ちゃんとしてます」みたいな雰囲気。

スーツにネクタイ、革靴、"真面目"な顔。使いたての敬語。

それ自体は微笑ましいのだが、

 

 

人間なんか、そんなちゃんとした存在ちゃうやん、と根本的に思ってしまう。ルーズな生き物やん、と言いたくなる。

(だから今でも、クソまじめな場で発言をする場合は、ジョークを織り交ぜることが多い。ぼくなりの意思表示であり、抵抗である。それなのに意に反してウケてしまい、困ることも多い。だれか、助けてください)

 

変にアメリカナイズされるのも性にあわんし。

いや、アメリカ人はもっとユーモアあるな。

 

 

というか、そういうムードに合わせる側の心の底には、不安と恐怖といくらかの打算が透けて見えてイヤだ。

 

 

あとぼくは昔から虫1匹もいない潔癖なオフィスやビルに居ると、それだけでずんずん具合が悪くなる。ものの見事に調子が悪くなる。

まったく生命の気配を感じないからだと思う。

 

 

 

さて、文句はさておき、数少なくインターンへ行った中には、

 

昼食の弁当が豪華で(1000円超えは確実)、それだけで感激した会社があった。

 

でもその後の選考には応募しなかった。

だからぼくにとってあの会社は、おいしい弁当の会社だ。

 

 

日本を代表する2大新聞社の説明会にも、何をトチ狂ったか行った。

受ける気も受かる気もゼロだったので、説明会だけで帰ったが。

 

 

 またある会社では、説明会の際、話が終わった後に社員さんから、

 

「何か質問のある方はいますか?」

 

と問われ、気になったことを挙手して尋ねると、後に個別メールで

 

「あなた1人のために、特別に説明や話し合いの機会を設けてもよいと思っています」

 

という、本来ならば光栄至極なメールをいただいたが、当時対人恐怖症にのたうち回っていたぼくはスルーでだんまりを決め込んだ(人事の〇〇さん、すみません)。

 

 

うーん、ここまで書いてると、ダメ人間、社会不適合者っぷりがよく表れてる……

そして十二分に、世間に流されとるな。

 

 

こんなこともあった。 

y-keiroku.hatenadiary.com

 

 

 

また、別の機会に面接に行った会社では、ぼくの前に面接に入っていた人が荷物をまとめて帰って行ったので、面接後、「この感触じゃ、おれもたぶんダメだろうな」と思って帰る用意をしていたら、人事の人に、

 

「あなたは帰らないで下さい。2次面接の日程を決めますから」

 

と言われ、そこからなんやかんやあって、人生で始めて正社員として入社したのだが、初日に社屋に入った瞬間に、その雰囲気で

 

 

あ、辞めよ

 

 

と思ったwww

 

実際に辞めたのはそれから1年以上後だったが。

(自分としてのベストは尽くした……と思う。思いたい)

 

 

「辞めます」

 

と上司に伝えると、その日のうちに上司の上司と、上司の上司の上司がわざわざ止めに来てくれた。

 

まぁ、ぼくは辞めると言ったら辞めるので、辞めたが。

 

 

 

そしてまぁいろいろあったが、現在のぼくの職を選んだ最大の理由は

 

満員電車に乗らなくて良い

 

 

これに尽きる。

(前の会社もそうだったが)

 

でも正社員ではない。

誘いはあるのだが、その覚悟がないので断っている。

ゆえに「非正規雇用」としての職。

そして日々、未熟ながら尽力している。

 

 

仕事の取組みとして、上手い具合に手を抜くとラクなのはわかっているのだが、それをすると自分にとって致命的なマイナスになるように思えるので、基本的には一生懸命働いている。

なんだろう。全力を出さないのが当たり前になると、いざ出さなくてはいけない場面が訪れたときに出せなくなるような気がするのである。

あるいは、手を抜くと、「ここでなくとも自分はやっていける。だから他者にも上司にも、配慮はすれどもビビらず意見し、堂々と振舞える」という、雇われる側の最大のカードを失ってしまうという感じだろうか。

 

 

端的に言って、

 

文句あんなら、いつでも辞めんぞ?

 

これを腹の底に持ち、上司から評価される部下が最強だと思う。

ただし、そのためには周囲からの信頼、自信の獲得が必須条件だ。

 

変かもしれないが、ぼくはそういう見方で仕事をしてきた。

 

ただし、うつなど、エネルギー減退がひどいときは、割り切って省エネモードに切り替える。そういうときは最優先で、ほかの何をかなぐり捨ててでも、達成基準を一気に下げる。

f:id:y-keiroku:20180306182608j:plain

ボクハタラカナイ


 

 

 

安定は、アテにならない(韻踏んでますよ~)。

ぼくは自分の人生がエライことだったこと、見わたす社会の安定が意外と長続きしないということを知ったことなどから、一層、自らの直感や感覚に忠実に生きていこうと決めた。

 

それで貧乏でも、底辺でも、しゃーない。

でも、自分が選んだという納得を上回るものはない。

 

 

 

ところで、安定に身を置き過ぎると、どれだけ優れた人も、確実にダメになっていくと思う

しかしその結果、どういう未来を迎えても、最後は、だれも責任を取ってくれない

高収入でも、地位があっても、聞こえが良くても、安定していても、努力をしていても。

 

東芝が、シャープが、ああなった。

他にもそんな例はたくさんある。

 

公務員だって、これから先どうなるかわからない。

というより、おそらくこれからはますますそうなってくるだろう。

 

もう、戦後すぐにできた仕組みにしがみついて、なんとか安全に、そこそこ裕福に生き伸びられるというリミットは、過ぎたのだと思う。

 

残念っっ、時間切れ~~♪♪

 

 

だからスタンダードな方法論、価値観とは別のアプローチが欠かせないわけだが、そもそも論として、

 

安定を求める人間は、不安定に見舞われると異常に弱い

・対して、はじめから不安定を覚悟して生きている人間は、他者から見ると不遇・苦境でも、案外やっていける

 

 

ぼくは生い立ち、境遇もあって後者を選ばざるを得ない面もあったが、長い目で見ると、案外良かったのかもしれない。

 

 

とかなんとか思った、仕事が休みなのでがちゃがちゃ書いた文。

 

あなたのなにかのヒントになれば幸いです。

 

では。