鶏肋日記(けいろくにっき)

なんやかやと思うこと、クソッたれな人生や世の中についてのブログです

生きづらさあるある?

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内容とは何の関係もありません


初めて当ブログにお越しいただいた方、訪問、ありがとうございます。
何度かお越しいただいている方、いつもありがとうございます。
鶏肋(けいろく)と申します。

 

暗い話です。

あと、今回はとくに、文脈がむーちゃんくーちゃんです。

 

そういうのも書いてみようと思いまして。

 

生い立ちの影響って、甚大なものがあります。その人が生きていく価値観という背骨をつくるのは、間違いなく生まれた家庭です。

よく「遺伝と環境。どちらの影響が強いか?」みたいな論争を聞きますが、親ってダブルやん。

子どもはそこから逃げられません。

生まれてくる条件を、人は選べないのです。

 

ぼくは現代日本に生まれ、五体満足に生まれ育ち、大学を卒業させてもらえたことに感謝しています。

 

が、

 

仕事をしない暴力父親、自身の母親(ぼくからすると祖母)と共依存で、"自分"というものを持ち合わせず、条件付き愛情しか与えられなかった母親、10~12歳くらいに受けた慢性的ないじめ、および貧困

 

あとはぼく自身、今でいうとHSPという人種なのかもしれません。まぁ、雑な人や社会に身を置くと具合が悪くなる、敏感タイプの人間なのです。

(その反対に、気持ちが通じたら、人の何倍も喜ぶタイプでもあります)

 

極めつけが、周囲に、苦しみに気づいたり、守ってくれたり、支えてくれるような人間が皆無だったこと。

 

そういうこと(他にもいろいろありますが)がないまぜになって、精神が壊れるというか、凍結するというか、まともに生きられないようになりました。その後遺症は計り知れません。

 

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でもまぁ、静かに放っておいたら日にち薬というか、「時間が最良の薬だ」みたいなことを言う人もいたので、我慢して待ってたんですよ。何年か。

 

結果。

 

まったく良くなりませんでした。というより、前よりひどくなりました(年数がかさんだ分)なので、重度のトラウマや精神的ダメージからの回復に、「ただ待つ」姿勢はぼくは絶対にオススメしません。

 

ぼくがひきこもっていた頃、母親が精神科医か誰かに聞いたらしいのです。

「どうすればいいでしょう?」って。

すると精神科医

「待つのが一番ですよ」

そしてそれを真に受けるというか、鵜呑みにした母親は、ロボットのように「待ち」の態勢に入り、何もしませんでした。

ところが数年が経ち、気づくわけです。

「んん?待ってるだけじゃダメなのかも?」って。

 

この手の話は、ひきこもりの本人や子どもが引きこもりになった親御さんからも、何度も聞きました。

 

こういう指示は、時間が経つだけで、何の解決にも結び付きません。

無責任な助言(?)と、その助言のせいにして自分の思考や行動を放棄する人たち。

 

「待つ」姿勢が大切なことはぼくも理解していますが、それはあくまで「正しい姿勢」での待ち方の場合だけです。インスタントラーメンに湯を入れて、麺が柔らかくなるのを待つような待ち方は、百害あって一利なし、なのです。

 

状況を改善しようという気概がまったくない。己の人生で受けてやる、という覚悟がない人たちって、つまるところ、温かい情のようなものが欠けてるんでしょうね。

その人自身の人生でちゃんと闘った経験がないのか、自身がそういうものを他者から受けられなかったのか、忙しすぎる日常に流されるうちに忘れてしまったのか。

いずれにせよ、悲しいことです。

 

 

ええと、ひきこもりの話をしたいんじゃなかったけど、まぁ繋がる話だからいいか。

 

ついでに言うと、今の日本社会の仕組みに無批判に適応するのが健康だとは、ぼくには思えません。もはや制度疲労というレベルじゃない。

 

多少減ったとはいえ、年間3万人クラスの自殺者、ひきこもり・ニートがン十万人、うつなどの精神疾患を患う人が100万人超え、富の再分配ナシ、構造的な不幸・個のレベルを超えた不幸もすべて自己責任。

あと、親友の平均人数が1人いないという話も聞いたことがあります。

 

こんな社会に適応するのがまとも?適応できなければ自己責任?

イヤイヤイヤ、それはおかしいでしょ。

 

それでも最後は自分しかなんとかできる人間はいない、という趣旨ならまだわかりますが、「自己責任」「甘え」みたいなことを臆面もなく言い放ち、対手を容赦なく切り捨てるような人は、その人自体が構造に「甘えて」いるのです。

たまたま自分がそうじゃなかっただけ、ということがまったく見えていない。

あと、自分が頑張ったという自負がある人も、意外とこういうこと言うんだよなぁ。

 

引きこもりの人のことを一番悪く言うのは、実は元ひきこもりの人

 

という話も以前聞きましたし……

人間って、悲しいですね。

 

 

で、話は戻って(どこに?)、ぼくは成人するまでに受けた甚大な悪影響のために、心身がむちゃくちゃに歪むというか、いろいろな課題を抱え込まざるを得なかったのですが、自分では抱えている実感すらありませんでした。

そういうものだと思ってたんです。みんな、そうなんだ、と。

いやあ、恐ろしい。

 

でもまぁ、20歳ごろ、体が本格的な反乱を起こしまして。

体が突然動かなくなる、汗が急に出る、発作が起こる、など。

いわゆるパニック障害(←ぼくはここをひらがなにするのはキライなので漢字表記でいきます)ってやつです。

 

そのころ、1度、死ぬかもしれないくらいの頭痛に襲われたことがありました。30分間くらいだったかなぁ。あまりに痛くて、「自殺か、発狂か、宗教にすがるか、この3つしかない」って思い詰めたのを覚えています。

 

でもぼくはアホというか、意地っ張りでして、

 

「ぜんぶイヤじゃ!おれはそのどれでもない、境界線上の、4番目の道を歩くんじゃ!」そう決意しました。

今考えると間違ってなかったようです。

(3つの選択肢をバカにしているわけではありません)

 

ともあれ、そこからの闘病生活(入院はしていません。というか通院もほとんどしてません)は本当に永かったです(今も一部は続いています)。

 

感情なくなったし、味覚無くなったし、息をするのも苦しかったし、頭が痛くてちぎれそうだったし、世界が黒寄りの灰色にしか見えなかったし、人間が誰も信じられなかったし、時間が止まって自分がこの世にいるのかどうかわからなかったし、毎日寝付くのに3時間以上かかったし(これは中学生くらいから)、言葉がまったく出ない時期があったし、人と会話するのにいちいち心の中でリハーサルしてから話してたし、文字が読めなくなったし、死にたい、消えたい、人生やり直したいという想念の虜になってたし、常に残りエネルギーがゼロ……

そういうののオンパレードでした。

 

病名をつけたら、20~30はいくんじゃないかな。もっとか?

 

面倒くさいのと、はっきりいって精神関係の医療はほとんど信用していないので、いちいち詳細に調べてませんが(現在通院されていたり、薬の処方を受けている方はムリに打ち切らない方が良いと思います。あくまでぼくの場合は、の話です)。

 

でまぁ、それまでもいろいろ抱えてはいましたが、パニック障害の発症が決定打となり、一般的な日常生活はまったく送れなくなりました。

 

大学に電車で通ってたんですけど、電車に乗れない。乗って、なんとか大学の入り口までくると、その時点で心拍数がむちゃくちゃに上がり、発汗も異常な量。顔面蒼白。

あるときは車内で突如、涙が溢れ出し(原因不明)、止まらなくなりました。

他の乗客は好きな人に振られたと思ったでしょうw

 

なので、ひたすら家で寝て過ごしました。

 

ほかにもいろいろあるんですけど、何をどうやっても、前述の苦しさがまるで良くならず、周囲に協力してくれる人もいなかったので、エネルギー0、格闘ゲームでいうと、ピンチの赤色点滅ライフゲージ状態(あと1撃で死んでしまう状態)で、本を借りたり買ったりして読み漁り、自分がなぜ苦しいのか、何に苦しんでいるのかを徹底的に分析したり、

心臓が破れて死んだら、それはそれでいいや、くらいの覚悟で電車に乗ったり、いろいろなところに行ったり、いろいろな人に会ったり……

 

う~ん、我ながら荒療治だ。人には絶対におすすめできない。

 

命を捨てる覚悟で必死に生きたら、意外となんとかなりました。

 

その過程で、自分の頑張りとは別に、ものすごく助けられたのが、

 

動物と友人

 

です。

 

ぼくは野良の動物しか飼ったことがないのですが(ここで自分が拾わなかったら100%近い確率で死ぬ、みたいな場合が多い)、彼(女)たちといっしょに生活をすることで、自分が人間であることを思い出させてくれました。

どんどん、人間らしさを取り戻していけました。

 

もちろん、一度飼ったからには最期まで世話はします。

 

怒ったり、笑ったり、泣いたり、何気ない時間を過ごしたり、ゴハンをあげたり、トイレの処理をしたり、そういう時間が日常に加わることで、いろいろ回復していきました。インナーチャイルドの育て直し、のようなことが起こったんだと思います。

 

友だちの話は今回は面倒なのでしません。

 

そういうあんばいで、幾多の症状というか、苦しみを克服できたおかげというべきでしょうか(一部はまだ残ってます)、今のぼくを見て、そういう過去を背負った人間には見えないと思います。

同じ苦しみを抱えた人の嗅覚だけは、かわせないかもしれませんが。

 

しかし、そういう苦しみを隠すのも、飽きました。こういうことを墓の中まで人知れず持って行くのもムダというか、アホらしいと思ったんです。そういう経緯もあって、こういうブログを始めたりしたわけです。

 

考えても詮無いことかもしれませんが、こういうハンデを克服するためだけに費やした多大な時間とエネルギーとお金を、本当は他の建設的なこと、建設的でなくても楽しいことに使いたかったなぁ、ということは、今、しみじみと思います。

 

ぼくだけでなく、不条理に苦しんでいる人みんながそうだと思う。

 

ぼくは性善説支持者というわけではないですが、その方が楽しいし、おもしろいし、恨みつらみも減るし、生きやすいと思うのです。

 

だからなのか、考え無しなのか忘れましたが、ぼくは少しずつ、人を「信じない」から「信じる」に重心をシフトしてきました。半ばムリヤリ。

 

「おれは人間を信じるんじゃ!」みたいに。

(こういうときは関西弁になるなぁ)

 

すると、何か返ってくるというか、回ってくるようになったんですよ、いいものが。

笑顔をもらえたり、おすそわけが増えたり、信頼が厚くなったり……。

 

こういう循環が当然の家庭で育った人は、そりゃ友だち多いし(かつ深い)、いい出会い増えるし、チャンスやいい情報も回ってくるし、ますます自分のこと好きになるし、人生感謝できるよなぁって実感しました。

 

20年くらい早く知りたかったなぁ。まぁ、代々そういう認識で生きてきた家系だったから、自分が生きてる間にわかっただけマシなのかなぁ?

 

よくわかりません。

 

でもまあ、愚か者なりに、多くの人から何十周遅れですが、自分の足で歩いている、自分の皮膚で、心で感じている、自分の言葉で、判断で状況を変えられる……

 

こういうのが生きるってことだよな、って30過ぎてから理解できました。

こっちの人生の方が断然いいわって。

 

今はそういうモードで、うつうつ低空飛行しながら生きております。

(もっともっと元気になれるはずなんですが、足踏み状態が長くて苛立ってます)

 

 

ところで、自分でも矛盾することは承知しているのですが、

 

子は親を選んで生まれてくる

 

実はぼく、これもわかるんです。「子は親を選べない」と真っ向から対立する見解なのですが、気が狂うまでものを考えた結果、ぼくの頭がおかしくなったのか、考え方のキャパが広くなったのか、ぼくの中にはこれらが同居しています。

 

同居はしているのですが、うまくかみ合っていないので、これからの人生で溶け合って、より統合性の高い心理状態になるのかなぁ、とか考えたりしています。 

 

正直、死ぬときは、できればすべてに感謝できるようになって死にたい。

はたして、間に合うのか?

それが問題です。

 

以上、よくわからない話でした。

順序も内容もバラバラでした。

 

それでも、最後まで読んでくれた方、ホントにありがとうございます!!!

あなたの人生が1ミリでも、より良好なものになりますように☆