鶏肋日記(けいろくにっき)

クソッたれな人生や世の中についてのブログです

目覚めて生きるの?目覚める前に死ぬの?

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鶏肋です。

生きづらさのとらえ方について、です。

 

伊丹十三が大好きなのです。

映画はもちろんのこと、対談等も。

 

そして数ある中でも、岸田秀氏との対談は出色です。

岸田秀も大好きなので)

 

 

ぼくは読書の際、琴線に触れたところ、強く共感できるところなどに線を引く読み方をするのですが(小説はペンを持たずに読みます)、

 

 

両人の対談本、『哺育器の中の大人』

 

哺育器の中の大人―精神分析講義 (岸田秀コレクション)

哺育器の中の大人―精神分析講義 (岸田秀コレクション)

 

 

 

 

この中で、もっとも強烈な印象を受け、書き込み線だらけになったのが、


P168~169の、以下のやりとりです(とくに伊丹さん部分)。

一字一句違わずに写します(太字はぼくが勝手に変えました)。

 

以下、引用。

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伊丹:しかしまあ、育て方ってのも良し悪しですねえ———健全に育っちゃうと、つまり自分を分析するような動機が全然ないわけだから、自分と思ったものが、実は社会から押しつけられた規範の寄せ集めに過ぎなくってもそれに気づかない。規範が間違っていようが、矛盾しようが、それをそのまま信じて生きちゃうようなね、そういう人間にならないとも限らないし、逆にいうなら、不幸な境遇に育ったがゆえに、不幸な幼児体験の上に人格が築かれてですね、従って対人関係がうまくいかない、どうして俺はこうなんだろう、というので自分というものに対して非常に分析的になってですね、従って最終的に目覚めることもできる、ということを考えると、ほんとに、なんていうか———

 

岸田:まあ良し悪しですね

 

伊丹:良し悪しですねえ———

 

岸田:だから、結局、人格の発達っていうのは弁証法なものであってね、正があって反があるから一段上の合になるわけですね。反がなけりゃ正が同じ水準にとどまっちゃうわけですからね。フラストレイションがなけりゃ人格は発達しない

 

伊丹:しかしフラストレイションで潰れてしまう場合もあるわけですから———

 

岸田:そう、だから両刃のやいばですね

 

伊丹:そこなんですよねえ、子供を育てる上で難しいのはねえ。「逆境こそ最上の教育なり」なんていいますけれども、じゃあ逆境を与えて潰れちゃったらどうなるんだ、ということを考えると、逆境へただ放り出せばいいともいえないわけで———

 

岸田:ないわけですねえ、親が故意に逆境を与えるということは難しいでしょうね

 

伊丹:逆境に放りこんだ教育的意味の方は一向に伝わらないで、逆境に放りこんだ親の冷たさだけが伝わって、そういう人間関係を生涯反復するとかね———どうも育児というのは計算ずくではいかないようですね。

 

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この本を読んだとき、ぼくは、「自分の生き方は間違ってなかったんだ」と理解しました(他にもそういう材料は山ほどありますが)。

 

↓自分の生き方

 

y-keiroku.hatenadiary.com

 

 

 

理不尽な苦しみや悲しみに見舞われた人は、人格のレベルを上げるという課題を、同時に与えられているのかもしれません。

 

そういう課題を余儀なくされた人は、"不幸"のない他人をいたずらに羨んだり、"不幸"がなかったかもしれない、ifの人生を想像して苦しまずに、泣きながらでいいから、人生に取り組めば良いんじゃないかと思うのです。

 

というより、それしかない気がします。

 

不幸に遭った場合、残念ながら、それを「なかった」ことにはできません。

過去のとらえ方を変えることはできますが、過去そのものを変えることは、泣いても喚いても、できません。

時間はただ、流れていきます。

そして、遅かれ早かれ、死にます。

あなたも、ぼくも。

 

人格なんて上げたって、誰も見ていないかもしれない。

1円にもならないかもしれない。
もっというと、無駄かもしれない。

 

それでもあれこれやっていると、

そのうち少しずつ、無邪気に笑えるようになります。

その回数が増えていきます。

そうなると、周りの人も自然に変わります。

イヤな人に毒されることも激減しますし(それをはねのける強さも身についてくる)、そもそも会いにくくなります。

不思議なもので。

 

"死んでいない"と"生きている"は、別次元の現象です。

ならやっぱり、"生きる"方がいい。

 

みたいなこと考えたり、言い聞かせたりしていますが、ぼくはよく負けます。

でも、たまに勝ちます。

1勝9敗くらいかもしれません。

1勝9999敗かもしれません。

 

でも少しずつ、1ミリずつでも前に進めるものです。

 

ま、要は修行ってことですね。

 

 

毎度ながら、まとまりのアヤシイ文ですが、そういう感じの話でした。

 

 

 

わかります、小池都知事

アウフヘーベンの話をしてるんですよ?