鶏肋日記(けいろくにっき)

クソッたれな人生や世の中についてのブログです

生きづらさ④~時間の停止~

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暗い話です。

(タイトルで暗さ丸出しですけどw)

 

 

時間は、あくまで計測基準です。

楽しい時は早く過ぎ、イヤな時は長く感じる、という具合に、

きわめて主観的に伸縮します。

つまり、時間とは内的な要素でもあります。 

 

 

以前書いた、離人症と、

 

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目の前の時間とエネルギーが95%使えなくなった、

 

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という話にもつながってきます。

 

あまりに過酷な体験を強いられた人というのは、脳かどこかが、強制的にブレーカーを落としてしまうことがあります。

辛すぎる現実を受け入れて本人が壊れてしまう前に、"主電源"を止めてしまう。

これが乖離といわれるもので、ぼくの場合は離人症という形で発現しました。

 

要は、体と心を切り離すことにより、より甚大な被害を防ぐための緊急措置です。

が、その治癒は本当に大変です。

 

ぼくの場合、10歳で離人症になり、なんとか死地を逃れたものの、周囲にそのことを気づいてくれる人は誰一人おらず、専門家による手当てなど、受けられませんでした。

当然、10歳の子どもが自分で説明できるはずもありません。

ほったらかし状態です。

 

それでも自然に治っていくものなのかもしれませんし、ぼく自身、どれくらいの時間をかけて、いつ「完治」したのかよくわかっていません。

 

ともかく、心と体が切り離される。

そうなると、何が起こるか。

 

一言でいえば、すべてが「他人事」になります。

自分に対して起こる、嬉しいこと、悲しいこと、快、不快。

あらゆる出来事が、対岸で起こっているようになります。

 

これは、事実を客観的に観察するという点においては悪くないのかもしれませんが、とにかく、何が起こっても、感情が伴わないのです。

 

だからでしょうか、ぼくは読書感想文が超絶苦手でした。

何を書いていいのかわからない。

感動とかしてないから、やむなくあらすじを再掲して凌いだものです。

 

 

ちょっと図示してみると、

 

 

  自分│││      感情       │ 客観性   ↙←←←出来事

 

 

わかりにくい(!)

 

 

ええと、出来事が、右からきているとします。

すると通常であれば、客観性や感情の動きを伴い、その結果、実体験として自分の内側に情報が落ちます。これがぼくが考える「経験」の簡単な仕組みです。

 

で、上図は何を表しているかというと、出来事が感情のところまで来ないんです。

あくまで、「〇〇君が喋っている」「雪が降った」レベルでその軌跡が途絶えてしまうので、感情が作動しない、つまり経験として落ちてこないんです。

 

イコール、それを経験したことにならない。何回やっても。

 

これは苦しいです。

たとえば美味しいカレーを食べたら、後日、味覚を通じてその味を思い出せるものですが、そういうのが一切ないわけです。それが味覚だけでなく、万事においてそうなる。

 

自分に起こっている出来事なのに、自らの経験として吸収できない。

このジレンマは、控えめに言っても地獄でした。

 

 

そしてこの問題を何よりややこしくするのが、「ずっと離人感覚の状態でいるわけでもない」ことです。

 

離人状態にONになったり、OFFになったりするので、わけがわからないのです。どっちの割合が多いのかも、自分では判断できません。正常な人の感覚と比べるのは、厳密にはその人にならないと無理なので。

 

で、こういうことが積み重なった結果、タイトルのように、人生の時間が止まってしまいました。「動かなくなった」と表現した方が正確かもしれません。

 

自分だけが異空間の小部屋に閉じ込められ、そこから他の人たちが進学、就職、結婚などをしていくのを、ただただ眺めているだけでした。

 

自分の時間は、焦ろうが、苛立とうが、なぜかまったく動かないのです。

24時間を24時間に感じられない。

無時間の無間地獄に落とされたような感じです。

ドラゴンボールの"精神と時の部屋"の感覚に近いかも)

 

外的時間は動いているので、少しずつ確実に、身体の年齢は上がっていきます。

でも内側には、氷河期の絶対零度状態のように、何も流れないのです。

 

 

村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』(だったと思う)で、主人公が似たようなことを言っていました。

 

自分は同じ部屋にずっとおり、人がドアから入って来て、ひとしきり話をしては別のドアから出ていく。でも自分はずっとそこにいるままだ。

 

そういう文だったと思います。

 

 

扁桃体という脳内部位が、時間という感覚に関わっているそうなので、そこが壊れたか停止したのかもしれません。

 

言ってみれば、一人浦島太郎状態です。

浦島太郎のような愉しい時間は一切ありませんでしたが。

 

 

でも、まあ、頑張って生きたわけです。

 

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そしてようやく「これたぶん、健康な人と同じ時間感覚だよな?もし違っても構わん。今、自分の内側には確かに時間が流れている」というところまで漕ぎつけました。

 

10年以上かかった。

 

ようやく、時間が、ほぼ完全に動き出したのです。   ←イ~エ~イ♪♪

 

そのかわり、その回復のために費やした膨大な時間は、社会的(履歴書的)には、「無かった」ことにされます

 

これが腹立ってしゃーない。

 

いっぺん、同じことやってみろや!!!!

お前、まず間違いなく、自殺か発狂してるぞ???

 

心の底からそう言いたいです(まあ、書きましたけどw)

でも、そういう間にも、時間は、一日は流れていきます。

 

 

◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆

 

 

抽象的で読みづらいと思います。

読んでくれた方、ありがとうございます。

 

あなたの、何かのヒントになりますように。