鶏肋日記(けいろくにっき)

クソッたれな人生や世の中についてのブログです

生きづらさの克服①~自分の創り直し~

f:id:y-keiroku:20171020235657j:plain

 

性格、人格面の再構築、という話です。

 

y-keiroku.hatenadiary.com

 

 

y-keiroku.hatenadiary.com

 

 

y-keiroku.hatenadiary.com

 

 

y-keiroku.hatenadiary.com

 

 

毎日が苦しいだけではなく、社会的にも八方塞がりで、「このままでは生きられない。死ぬか、死なないかを選ばないとどうしようもない」というくらいに、何もかもに追い詰められていた20歳頃のぼくは、

 

 

世間とか、"フツー"の人の課題をこなしながら、片手間に処理できるほど、自分が抱えている生きづらさは生易しいものではないし、また、自分はそんなに器用じゃない

 

 

そう感じたので、ある決断をしました。

 

 

20代は、苦しさを何とかすることだけに専念する

 

 

親が何と言おうと、誰が何を言おうと、社会のレールから外れようと、"フツー"じゃなくなろうと、そんなことはいい。

今これをしないと、自殺か発狂しかない。

それくらい切迫していました。

 

だから、他のことは捨てました。

で、休んだり、いろいろ試したり、挑戦したりしました。

 

1日20時間以上寝る生活を年単位で過ごしたり、通院したり、自助グループに通ったり、地域コミュニティに参加したり、それまでやらなかったことに手を出したり、本を読み漁ったり、インターネットで調べたり、ノートにいろいろ書きなぐって自分を客観的に分析したり……

 

傍から見ると、「いい御身分」だったようです。

実際、そういうことをさんざん言われ続けました。

しかし、そんなことをいちいち気にしていられない。

死ぬか、生きるか、なんだから。

 

 

でもね、痛いんですよ。この、「客観的に自分を見る」というのが。

単に"自らを冷静に見る"ということではなく、生き方そのもの、人格や性格そのものを疑い、抉り出す作業なので。

 

 

自分で自分の生皮を剥ぎ、肉を削ぎ、肺腑を取り出し検分する。

 

 

そういう作業でした。

 

そして、自分の育ってきた環境が、人間らしく生きることを正面から阻害しているということ、そこを死なずに、狂わずに生き抜くために、かなりの代償を支払ってきたこともわかりました。

 

人間関係のまずさ、ねじ曲がった人格、精神病などによって。

 

 

いくら自分のせいではないとはいえ、認めるのは辛いものです。

端的にいうと、

 

おれって性格悪い

 

というのは。必死に生き抜いたのに。最初からそうじゃなかったのに。

 

今だったら「ああ、性格悪いよ。で?」って、笑って言えますが、当時は来る日も来る日も、歯が潰れるくらい、歯ぎしりしていました。悔しかったのです。

なにより、悲しかったのです。

 

性格・人格レベルから人生を創り直さないと、この先どうしようもないということが。

そういう生を生きねばならなかったことが。

 

 

 

とはいっても、ヘンな宗教や自己啓発に走りはしませんでした。

 

 

人生は常に実戦の連続です。休みのない、出づっぱりの舞台です。

 

そして、対人コミュニケーションのスキルも、日々を快適に過ごす工夫も、実践によってのみ身につく

 

のです。他人から拝借しただけの知は、真に自分の血肉にはなりえません

参考や、背中を押してくれることはあっても。

 

自らの心と体で感じ、自らの足を動かし、自らの頭で考えることによって得た経験のみが、自分の道具として持ち運びできるのです。

f:id:y-keiroku:20171021010148j:plain

 

 

 

 

自分が「"間違った"道を歩んでいた」「自分を変えなければならない」と理解したあとは、人生が上手くいっている人の真似をするのがもっとも有効だと思います。

 

 

 

本を出している人であれば著書を読み、動画があれば何回も何回も見る。

そして、尊敬する人の話し方、口調、身振りなどをコピーするんです。

外側から。

 

好きな人なので、それほど疲れません。

ぼくもかなりやりました(今でも)。

 

繰り返すうちに、その人の節やイズムのようなものがわかってきます。

(錯覚かもしれませんが、そこは重要ではありません)

 

そして、一度そこを"理解"すると、自転車の乗り方と同じ要領で、その後は努力なしで、この局面、あの人ならこう考えるだろうなという見方ができるようになります。

 

自分の中に、もうひとつ別のチャンネルができるんです。

 

これはか~なり強力ですよ。

 

それって、物真似のメッキじゃないのか、という声も聞こえそうですが、それがそうでもないんです。

 

中身はちゃんと自分なんです。

 

で、その中身が成長するに伴い、"メッキ"が中身に統合されていきます。

「まごうことなき自分」の純度が上がっていきます。

 

抽象的でわかりにくいかもしれませんが、そういう過程が、自らの内側で起こります。

これは、人による差はないんじゃないかな。

程度の差はあっても、そういうダイナミズムが起こるんだとぼくは思っています。

 

それが上手くいくと、尊敬している、あるいは大好きな人の考え方、ものの見方が自分の一部になるわけですから、自分を愛せる気持ちは確実に強くなります。

 

すると、これまでと同じことを日常でしていても幸せ度が増しますし、「次はこの人をトレースしてみよう」という意欲が出やすくなります。

 

周囲も、高まったイメージの自分に合わせた応答をしてくれるようになりますし(注:それまでのあなたをよく知っている人は、逆の反応をする可能性が高い)、

 

自分一人でいることの平静感、および対人面での人間関係が、らせん状に良好になっていきます。

 

 

って、これこそ怪しげな勧誘文ぽいかもですけど、もう、いいです。

 

ぼく自身が学んだことなので。

 

 

何百分の一かは、伝わったでしょうか?ぼくの言いたいこと。