だという話をします。実体験です。
現在は18歳に下がりましたが、ぼくの頃は20歳になって選挙権が得られました。
すると変化がありまして。
20歳を迎えた途端、当時親しかったわけでもない、卒業後に連絡を取り合っていたわけでもない同級生が、連絡してきたり、自宅を訪ねてきたりし始めたのです。
はじめはよくわからなかったのですが、そのほとんどが〇価△会の人たちでした。
要は、「選挙に行って〇〇党に票を入れてほしい」とか、「△会は素晴らしいからぜひ一度おいでよ」みたいな話をするわけです。
そのときは、近所のファミレスで、2人の相手と2時間くらい喋りました。折伏されないよう気を張って相対しました。なじみのファミレスであれほどのアウェイ感に苛まれたことは、いまだかつてありません。
彼ら、票に関しては、こちらがハイハイ生返事をしているだけでは諦めてくれず、
「今から一緒に期日前投票に行こう」
とか言い出す始末。おいおい、選挙を、休み時間の連れションのノリで語るなよ。
もちろん断りました。たしか、あまりのしつこさに、途中でキレて帰った気がします(それから一切、彼らから連絡はありません)。
そういえばあのときのポテト代、払ってなかったかも…………
話を戻すと、街頭で宗教勧誘のビラ配りをしている人をちょくちょく目にします。「幸せになりませんか」という趣旨の紙。
この20年くらいで随分減ったように感じますが、それでもたまに見ます。
そういう人たちに対して、ある時期から、こう思うようになりました。
勧誘とかしてるヒマがあるなら、まずはあなた自身が幸せになったらどうですか?
どう好意的に見てもあなた、幸せそうには見えませんよ?
もしあなたが本当に幸せなら、自然に幸せオーラが出て、勧誘なんてしなくても、周りの方から「幸せそうですけど、何か秘訣があるのですか?」って聞いてくるんじゃないですか?
ああいうのは、ただ単に、「上」の人にやらされてるだけなのかな?
あるいは修行の一環?
なんにせよ、向こうから寄ってくるオススメはお仕着せがましくて、鬱陶しいものがほとんど。だからかえってネガティブなイメージが倍加してしまう。
てかそもそも、日本ではオウム真理教以来、宗教アレルギー強いし。