鶏肋日記(けいろくにっき)

クソッたれな人生や世の中についてのブログです

世の中から不幸を減らす方法~親の免許制~

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そうあって欲しいと思うのです。

 

親になる前に、ぜひ「子どもを育てる能力があるか」をテストしてほしい。

 

で、アウトなら産んじゃダメ。

 

産みたければ、しっかり「親になるための勉強」に励む。

 

とてつもない無知や、子を食い物にする性格や、明らかに子どもを不幸にする人間に

 

 

人の親になる資格なんてない

 

 

心底そう思うのです。

 

 世の中の悲惨な事件、犯罪、自殺、精神疾患、ひきこもりやニート、生きづらさ、など、本人だけでなく社会にとってのマイナスを生み出すかなりの部分が、親子関係に起因しているのではないか思う(ここでいうひきこもりやニートは、本人がその状況を望んでおらず、周囲の負担にもなっている場合を指す)。

 

よく、人間が受ける影響で大きいのは遺伝か?環境か?って言われるけど、親というのはダブルなわけで。しかも、少なくとも10数年はそこから逃げられないわけで。

 

尊属殺人は殺人件数の50%とかなわけで。

 

 

ここで簡単に、イメージしてみると。

 

 

「良い」親(片親でも、育ての親でも)に育てられた子ども

 

一人の人間としての自尊心がきっちり養われており、他者に対する基本的な信頼感が育まれ、世の中の仕組み人付き合いのいろはを家庭で学べて、失敗や試行錯誤が大いに推奨され、子どもが自分の人生を歩むことをともに喜んでもらえ、人生を全力でサポートしてもらえ、、、要するに、

 

子どもが成人すると、彼(女)は、人間界で生きていくためにおよそ必要な知識、人間関係の基礎なんかをフル装備した状態で旅立てる。

 

 

翻って、

 

 

悪い」親に育てられた子ども

(※今は"毒親"という言葉がよく使われる。それについて、ぼくは諸手を挙げての賛成はしないけれど、多くの人の生きづらさを楽にした功績はきわめて大きいと思う)

 

一人の人間としてこの世に存在することへの不全感・違和感、多くの人が当たり前にできていることを自分はできなくて当然・あるいは自分にはする資格がない他者に対する基本的な不信感、世の中の仕組みどころか家庭すら親のその場の気分で悲惨な暴力の場になり、失敗や試行錯誤は容赦なく罵倒されたり、馬鹿にされたりする。子どもが自分の人生を歩むことを喜ぶどころか、子どもは親の都合を満たしたり、親の不満をぶつけたり、親がいい気分になるための「人型の道具」であり、

 

子どもが成人して社会に出る頃には、彼(女)は、人間界で生きていくためにおよそ必要な知識、人間関係の基礎なんか皆無で、それどころか誤解と偏見に満ちた滅茶苦茶なバッティングフォーム身に着けた状態で、わけもわからず丸裸同然で放り出される。そこに、借金だったり、親の前科が乗っかってくる場合もある。程度の差はあれ、精神疾患を患う可能性もきわめて高い。

 

 

 

これらの親の差は、大半が、親自身がそう育てられてきたから。

 

しかし、比べればわかるように、この、本来ならば「ヨーイ、ドン!」で社会に出る時点ですでに、天国行きの人生と、地獄行きの人生に分かれてしまっている。

 

「じゃあそこから変えればいいじゃん。やり直せばいいじゃん」

 

ことはそう簡単ではない。10~20年もそういう環境で身についた行動パターン、思考パターンは、間違いなく、その人の無意識レベル、細胞レベルでしみ込んでしまっている。生活習慣はおろか、その認知の段階からして浸食されている。

 

だから変えるのが大変なだけではなくて、そもそも、気づくことすら大変なのだ。根底から自分を疑ったり、再検討するなんて、余程のことがないとできない。

 

そのうえ、その人が育った環境、人たちがそれだけ劣悪だということに気づかないような(自分に目覚めてしまわないような)仕掛けは二重、三重、四重、五重に掛けられていて、「あなたの勘違い」「恩知らず」「みんなそれほど差はない」「お前が変わっているから」「自己責任」などの有象無象の言葉やら圧力やら、果ては相談に乗るフリをして自分の人生を肯定するために説教を始める輩まで登場する。そして、「自分が悪いんじゃないか」「自分が間違ってるんじゃないか」と思わされる。

 

それらの人が上記の呪縛から解放されるのがどれだけ悲惨か。大変か。

 

 

まず、人間を信じることを学び直さなくてはいけない。

 

周りの誰も教えてくれなかった、人付き合いのしかた、パートナーとの関わり方、社会のルール、ちょっとした一般常識、生活のしかた、仕事について、お金について、etc

 

それらをある程度まともに再インストールするだけで、膨大な時間とエネルギー、場合によってはお金が不可欠になる。

 

しかも、日々の生活と並行しながら。

 

 もう、それだけで人生終わっちゃうよっていう話だ。

 

こういう超ウルトラハードモード人生を余儀なくされた人が、世の中にどのくらいいるのかわからない。普通は隠すから。勇気を出して打ち明けたのに、その勇気を平気で踏みにじるような人、多いから。あるいは「言っても無駄だった」という経験。体でそれを理解してるから。

 

まあ、ぼくはそういうハードモード側の人間なので、イージーモードの人たちに対する羨望は山のようにあります。てか、ルサンチマンのお化けです。

 

それでも、体も心も履歴書もボロッボロに千切れた人生でも生きてくぜ!

 

 って思って頑張ったりしてるんだけど、ちょくちょく、気持ちがドスーンと闇に落ちてなかなか還ってこれなかったり、泣きたくなったりする。

でも、もっと辛いときには、そもそも涙じたいが無くなっていた。

 

 

 

話を戻して、親の免許制の導入は、不可能だろう。

 

 

導入したとして、誰が審査する?

 

どういう審査項目を盛り込む?

 

出産後に、条件を満たさず不合格になる場合は(たとえば倒産)?

 

免許の審査なんてしんどいことがあったら、現在ただでさえ少ない出生率がさらに激減し、もはや国が回らなくなる。

 

 

現実的ではないことは百も承知だ。

 

だからせめて、次善の策として、出産後の親教を、年齢や性別などに応じて、何らかの形で実施してほしい。

 

会合の参加義務でもいいし、課題動画を見る義務でもいい。

 

とはいえ、それもプライバシーの問題が関わったり、問題のある家庭ほど「うちの家に口を出すな」とか言って怒り、非協力的だったりする。

 

結果、周りも「ほっとけ」になる。

 

でもなぁ、家庭がマズい人たちが健康になったら、それだけで、犯罪減るし、自殺減るし、他人の粗探しする人減るし、精神疾患減るし、いろいろあって、

 

長い目で見たらすっごい安上がり

 

だと思うんだけどな。

 

 

そういえば、イージーモードの人にも、すくすくコンプレックス(健全に、恵まれて育ちすぎたことへの劣等感や罪悪感)があるとも聞くし、波乱万丈な人生を生きた人に対して羨ましい、カッコイイと思ったりもするらしい。


 結局は無いものねだり、なのだろうか。

 

よくわからない。